2015年05月12日

深見東州著「強運」〜命日は霊の誕生日〜2

 このブログでは、深見東州(半田晴久)先生、最大のベストセラーである「強運」から、その一部を紹介させて頂きます。

 とても素晴らしい教えが満載ですので、強運になりたい方は、ぜひ参考にしてください。


 ところで、われわれもそうだが、誕生パーティーに一人では行きづらい。親しい友人がいれば一緒に来ないか、と誘うのが常だ。霊もそう思っている。

「子供たちが、ぼくの好物だったマグロの刺身やお酒を用意しているんだが、どうだい、修行の手を休めてちょっと食べに来ないか?」という具合になる。「それじゃ、お言葉に甘えて、一口だけ食べに行くよ」というわけで、故人の命日には、霊の友人たちも集まってくる場合が多い。そういうわけで、命日のお供え物はある程度豪華に、故人の好物を中心に揃えたほうが、霊は喜ぶ。ただし、祥月命日をこのようにすることは、霊界では許されていない。

 その他、霊たちが「一時帰宅」を許されるのはお盆の四日間。やっぱりこの日も、ある程度ご馳走を用意しておいたほうがいい。とくに、霊界でも地獄に近い低い階級にいる霊は、はっきり言うと毎日のお供え物を食べることも許されていないのだ。いつもお腹をすかせながら修行し、命日とお盆の四日間を、一日千秋の思いで待っている。だから、せめてその日だけは、思う存分に、おいしいものを食べさせてあげるべきだ。仏壇、位牌を設けず、命日さえも、先祖供養をしなかったために、家運が傾くというのは、実は、このような霊が騒ぐことが起因している。



posted by まりこ at 22:14| 深見東州「強運」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

深見東州著「強運」〜命日は霊の誕生日〜2

 このブログでは、深見東州(半田晴久)先生、最大のベストセラーである「強運」から、その一部を紹介させて頂きます。

 とても素晴らしい教えが満載ですので、強運になりたい方は、ぜひ参考にしてください。


 ところで、われわれもそうだが、誕生パーティーに一人では行きづらい。親しい友人がいれば一緒に来ないか、と誘うのが常だ。霊もそう思っている。

「子供たちが、ぼくの好物だったマグロの刺身やお酒を用意しているんだが、どうだい、修行の手を休めてちょっと食べに来ないか?」という具合になる。「それじゃ、お言葉に甘えて、一口だけ食べに行くよ」というわけで、故人の命日には、霊の友人たちも集まってくる場合が多い。そういうわけで、命日のお供え物はある程度豪華に、故人の好物を中心に揃えたほうが、霊は喜ぶ。ただし、祥月命日をこのようにすることは、霊界では許されていない。

 その他、霊たちが「一時帰宅」を許されるのはお盆の四日間。やっぱりこの日も、ある程度ご馳走を用意しておいたほうがいい。とくに、霊界でも地獄に近い低い階級にいる霊は、はっきり言うと毎日のお供え物を食べることも許されていないのだ。いつもお腹をすかせながら修行し、命日とお盆の四日間を、一日千秋の思いで待っている。だから、せめてその日だけは、思う存分に、おいしいものを食べさせてあげるべきだ。仏壇、位牌を設けず、命日さえも、先祖供養をしなかったために、家運が傾くというのは、実は、このような霊が騒ぐことが起因している。

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2015年05月11日

深見東州著「強運」〜命日は霊の誕生日〜 

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 よく使う言葉に「生前」というのがある。「生前お世話になった」「生前やり遂げたかったこと」「生前の言葉」などと使う。つまり「生前」とは、死ぬ前のことを通常指している言葉なわけだ。しかし、これは考えてみるとおかしい。死ぬ前だったら、当然「死前」ということになる。「死前は大変お世話になりました」とならなければ、辻つまがあわない。それなのに、どうして「生前」なのだろうか。実は、この言葉は霊界から見た「死」を指しているのだ。

 どういうことかというと、肉体が滅んでも、魂はちゃんと生きている。生きているどころか、肉体を脱ぎ去って、自由に空間を行き来できる四次元の世界へ新しく「生まれ変わる」とき、それが肉体が死んだときなのだ。だから、霊界から見ると、肉体が死んで霊が誕生するということになる。それで、霊界から見れば、現世は「生前」ということになるのだ。「霊界へ生まれ出る前」ということなのだ。

 肉体が死んだ日を命日といい、故人を偲んで、その日はご馳走をお供えするのが普通になっているが、霊界から見ると、その日はちょうど誕生日。霊界の法則では、1日だけ修行を休めることになっている。だから、霊は家に帰ってきて、ゆっくりくつろぎ、お供え物のご馳走に舌鼓を打っている。


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2015年05月07日

深見東州著「強運」〜供え物をいつまでも置いてはいけない〜2

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 ところで、お地蔵様などにお供えしてある食べ物だが、たいていは置きっばなし、供えっぱなしだ。だから、当然、雑霊たちがそのあたりにウヨウヨしている。こういう場所で妙なお願いでもしようものなら、ワッと一斉にとりつかれてしまう。古く汚くなったお供えものが置いてあったら、きれいに片ずけてあげたほうが、お地蔵様も喜ぶだろう。そのあと、持参したお供えものを置くようにする。もし、手を合わせてお祈りするのなら、個人的な願いは避けて、「この道で事故が起きませんように」とか「町が栄えますように」と、みんなが幸せになるようなものにしたほうがよい。そうすれば、雑霊などにとりつかれなくて済む。

 なを、お供え物も同じように、二〇〜三〇分ぐらい経ったら持ち帰るようにする。

posted by まりこ at 22:43| 深見東州「強運」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月02日

深見東州著「強運」〜供え物をいつまでも置いてはいけない〜

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 朝、お供えしたものを夜まで仏壇に置いておく、などということはないだろうか。これはよくないのでやめたほうがいい。せいぜい二五分くらいが限度。われわれも食事の時間は三〇分前後が普通だ。位牌についている霊だって、食事時間は同じなのだ。

 長い時間放っておくと、近所の雑霊が、まるでゴキブリかネズミのように、コソコソと寄ってきて食べる。リンゴやミカンなどの果物、あるいはお菓子なども、やはり長時間置いておかないほうがいいが、こういったものは、霊が食べやすいように、なるべく皮をむいてお供えするようにしたい。

「ご先祖様、どうぞ召し上がってください」という気持ちで供え、二〇分から三〇分経ったら、雑霊に食べられないうちに人間様の胃袋に収めてしまう。ご先祖様は食べ物の霊気を食べ、人間は物質を食べる、というわけである。

 お酒が好きなご先祖様だったら、特急酒ぐらいのを供えたらよい。神様にお供えしたものは、神気が残るので、酒もその他のお供え物も、この神気のために若干だが味が向上しているはずだ。ところが、ご先祖様の場合は逆で、特急酒が一級酒に、一級酒は二級酒に落ちる。先祖霊か供物を食べた証拠である。

posted by まりこ at 19:08| 深見東州「強運」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする