2009年11月06日

お玉串とは神様に自分の誠をあかしするためのきっかけ

032お玉串とは何か(10)

このブログでは、世界中に愛をワールドメイトとその主宰者である深見東州先生(半田晴久氏)について書いていきたいと思います。

どんな行事に参加される方も、ぜひご理解いただきたいことがあります。

「誠とは形に出して真(しん)となり、形に真がこもって完成する」という神霊界の法則がある、ということです。

そしてお玉串とは、

「神様に捧げるもの」

なのです。

神様に捧げるんだ、という意識をもって納めていただきたいのです。

お玉串を納めるのは、ワールドメイトという組織のためではなく、また、植松先生のためでもなく、深見先生のためでもありません。

自分の誠を証するものとして、「自分に神様への誠がある証拠として」お玉串を納めるのです。

「どうぞわが誠を、神々様が受け取って下さいますように」と祈りながらお玉串を納めるのです。

「どうか天の徳を積むことをお許し下さい」と祈りながら、お玉串を納めるのです。

「許される時が来たなら、私にも神なる奇跡をいただければ有り難いです」と祈りながら、お玉串を納めるのです。

お玉串とは、どこまでもじぶんの誠を極め、神様にその誠を証明し、そして自分の陰徳とさせていただいて、自分自身の心のあり方や自身の信仰の姿勢を見直す、それらのきっかけとなるものだと言えましょう。

ご神徳を買うことはできないのです。お玉串の金額とは現実的な意味での基準ではありますが、実際に捧げることになる誠の深さは、お玉串の金額の10倍、100倍にもできるし、10分の1にしてしまうこともできるのです。

寄付玉串が、いかに料金というものとは違っているか、全くの別物なのかということがお分かりいただけるでしょうか。

支部長がしつこく言うから、とお玉串を出すと、人間信仰になります。

人としての深見先生がおっしゃるから、とお玉串を出すと人間信仰になります。

この1万円を出すと、10倍になって返ってくるから、といってお玉串を出すと、お蔭信仰になります。

神様とは、どんなお金でも、お金はお金として受け取って下さるはずだ、祈りがあろうがなかろうが、金額が大きかろうが小さかろうが、同じお玉串なんだーこれが俺の考え方なんだーというと、観念信仰のほうへずれてしまっているような感じです。

お玉串とは、「神様に捧げるもの」なのです。

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2009年11月03日

お玉串があるから誠の祈りが極まり劫祓いにもなる

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031お玉串とは何か(9)

「私自身(=深見東州先生)について言うなら、お取り次ぎをさせていただく度に、その都度無形の神徳・天徳を神様から授かっていますので満足です。」

「しかし、それでいいとするなら、どうか私を雲水にして下さいますように。出家させて下さいますように。私だけなら、ボロ一枚の衣でも平気ですし、どこに寝るのでも平気です。でも人材の育成をせよといった、高次元の使命を与えないで下さい。」

「『自分自身は生業を持ちなさい。組織のための組織を作ってはいけない、だが多くの人を集めて道を弘めなさい。神人を育てなさい』こういう使命と、現実の制約と、こうした状況のもとで、私に一体どうせよとおっしゃるのでしょうか、神様。」

修業時代に、このように使命と現実との間にあまりに開きがありすぎることに苦しまれていた深見東州先生は、このように、正直な気持ちをご神霊にぶつけられたこともあったそうです。

実は、救霊の神法を授かった当初、よかれと思って無償でお取り次ぎをされていたところ、

「これでは、本人の劫祓いにも徳積みにもならず、かえって本人の御魂の育成すら妨げかねないから、誠の祈りが極まり、きちんと劫払いにもなるよう、一つひとつの取り次ぎの内容に鑑みて尺度となる金額の玉串を定めるように」とご神霊がおっしゃったそうなのです。

それで、深見東州先生は、「自分は今まで愛が小さかった」と悟られたということなのです。

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ラベル:玉串 深見東州
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2009年11月02日

病気が治り家運も良くなるのに玉串が高いとなぜごねる?

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030お玉串とは何か(8)

こうした人たちが次々と訪れてくるので、深見東州先生は、以下のように、神様とやりとりされたそうです。

「受け取ったお金を、自分の懐に入れることなく、私するわけでもないのに、自分の家族や健康や仕事や結婚といった一身上の幸せの相談ばかりに、限りある貴重な自分の時間をどうしてこんなに使わなければならないのでしょうか?また、どうしてそんな人たちに、ペコペコ頭を下げて、あげくの果てには『宗教家がお金を取るのか』とまで言われなければならないのでしょうか。」

「しかも、救霊をきっかけにして、人生は何のためにあるのか、といったことに目覚めるわけでもなく、あたかも歯医者で虫歯を抜いてもらったようにしか思わないで、神霊に感謝することもなく、あとは以前と同じように自分の気の向くままに人生を送る人がほとんどです。」

「私でよければ、代わりに玉串を出して、真心のこもらない玉串を突き返して、『自分のことばかり考えないで、日本の国や人々のために生きる根性を持ったらどうですか!』と言ってやってはいけないのでしょうか?」

「私だったら、他人様の貴重な時間を割いてもらって、一身上のことに霊的にも現世的にも明解な答えを頂くのだから、当然、ご神霊に対してもその人の使った時間に対しても充分なお金を出します。出させていただきます。」

「救霊にしても、急に病気が良くなり、家運も良くなり、子や孫まで永続的に幸せになっていくわけです。結婚式や葬式なら当然の如く数百万円を出す人が、あるいは病気で入院したら入院費用がどのくらい必要かわかりそうな人が、5万円なら5万円という一回の救霊の玉串をこうもけちるのかと思うと、本当に情けなくなります。」

「救霊を受けて病気が治り、家運も良くなっていながら、『救霊の玉串が高い、相談料が高い』とは…いったいどういう感覚なのでしょうか?!」

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2009年11月01日

お玉串を出すことの意義とは?

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029お玉串とは何か(7)

深見東州先生がまだお若い頃、修業時代には次のようなことがあったそうです。

いろいろな人が訪れてきたであろうことは、想像に難くないですが、次のようにおっしゃる人がずいぶん多かったようです。

「深見先生もやっぱりお金を取るのですか!」

「てっきりタダでやってくれるのかと思ったのに!」

「先生、お金を出せば除霊してくれるそうですね。では五本でどうです?」

「先生、持ち合わせが少し足りないから、まけてもらえませんか?」

「お金を取るなんて、それでも宗教者のつもりか!」

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2009年10月31日

納める人の境地がお玉串にそのまま乗っている

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028お玉串とは何か(6)

封筒の中にはお札が一枚入っていて、

「あーあ、空しいよねー、こんなお金出しても、俺が何かもらえるわけでもないのに」

というものがあったそうです。

次に見てみると、一円玉が一枚ポッキリ入っている封筒があったそうです。

そこから聞こえてきた声は、

「何を言っているのだ。気持ちさえあれば、一円だって無いよりはましなのだ。気持ちが大切だ。ゼロより一円のほうがいい。一円でもあるほうがいいと思うがいい。」

というものでした。

さらに見てみると、そこに黄金輝くばかりにまばゆい、光り輝いている封筒がありました。
そこから聞こえてきたのは、

「今、財布には四千円しか残っていないが、電車代とバス代を残せば三千五百円を出すことができる。これをさせて頂こう。神様に役立てていただこう」

というものでした。

この三つ目の例は、実際の金額は三千五百円でも、神様から見た値打ちとしては五万円分くらいになっていたそうです。

つまり「神仏のためにぜひ自分なりに精いっぱいさせて頂きたい」という純粋な気持ちでしたなら、それが誠であり、神霊界では黄金まばゆい天徳となっているのです。

そして天に徳を積めば、一時は苦しい時があっても、必ず何らかの形で、二倍、三倍にして返して下さるのが、本当の正神界の神々というものなのです。

人が誠をもって純粋に神様に向かう時、その純粋さと誠を受け取ってくれる神様がいらっしゃらないわけがありません。

人の真心がどれだけ本物で、それがどこまで本当の誠として形に表せているのか、その点を神仏は見ておられるのです。

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2009年10月30日

誠の表現の一つとしてお玉串を納める

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027お玉串とは何か(5)

とにかく金を出せばいいのだな、ということではないのです。

本当に真心があるなら、それが自然に言葉に出て、行いにも出てくるものですよね。

そこを言っているわけです。

ですから、誠を表現するための形の一つとして、玉串を納めるのです。

玉串を納める時に、心を調え、言葉を調えて納めれば、玉串に本当の誠意を込めることができるのです。これが、想念の持ち方次第なんだ、という言葉の本当の意味です。

かつて深見東州先生が白血病の子供たちのためにチャリティー講演会を催されたことがありました。

その際に、深見東州先生が、参加者が寄付してくれたお金、封筒に入っていたものですが、これを試しに審神されたことがあったのです。

これを玉串神通といいますが、深見先生がこの玉串神通をしてみたところ…

(続く)

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2009年10月29日

誠意を表す時は相手が誰でも有言実行

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026お玉串とは何か(4)

お玉串に誠を込めるとはどういうことでしょうか。

神様にお捧げした金額が、誠で光り輝くようにすればいいわけなんですが…

例えば、あなたが女性だとして、二人の男性から交際を申し込まれたと考えてみましょう。

A君は、口先では言葉巧みに「きみのことが好きなんだ、愛してるよ」と言ってくれるものの、二人でデートに行っても、「ごめん、今日は持ち合わせがないからおごってくれないかな?」と自分では食事代も出さない。

また、あなたの誕生日が来ても「あ、誕生日だったの、忘れてたよ」とプレゼントもくれない。

しまいには「プレセントなんかいいじゃん。俺には愛があるからさ」と言い出したりする始末。

ところがもう一人のB君は、口下手で気のきいたセリフもなかなか言えない人だとしましょう。

でもあなたの誕生日が来たら、いつのまにかプレゼントを用意してくれていた。

「今日、きみの誕生日だから、プレゼントを用意してきたんだ。男一人で女性用のイヤリングを選ぶのって難しいね。結構照れくさいけど買ってきてみたから、受け取ってくれないかなー」と言ってくれる。

顔の美醜や会話が弾むかどうかなど、いろいろと比較すべき点は他にもあるでしょうが、それらはとりあえず置いておいて、誠意、という点を考えた場合、どちらが誠意があると言えるでしょうか。どちらの男性とつき合いたいと、普通は考えるでしょうか。自明のことですね。

真実、心に思うならば、言葉に出て、行いに出るのが本当だと言えます。

心で思い、言葉が行き届き、行いが行き届いているからこそ、神仏が本物の誠として受け取ってくれるという法則があるのです。

これを「言心行一致」というのです。

この言心行一致が出来ているときに、あなたの誠が輝いていると言えるのです。

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2009年10月28日

霊力はお玉串に込めた誠に比例するの?

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025お玉串とは何か(3)

そして、霊が改心した後は、神仏にお願いして傷を癒してもらうのです。

首つりで死んだ霊なら、首の骨が折れているのを治し、刀傷で斬り合った時の傷が痛む霊であれば、その刀傷を癒し、刺さっている矢は抜いて、打ち抜かれた弾丸の傷も元通りにし、切り落とされた手首も治して、やけどの苦しみ、毒薬の苦しみもすべて癒してから、食べ物を与え、髪を整え、きれいな服を着せて…

今までいた霊界よりももっと上の、上段の霊界に送るのです。

幸せになった彼らはもう帰ってきてとりつくことはありません。

これがワールドメイトで執り行われている、深見東州先生直伝の救霊です。

そこで考えていただきたいのですが、この救霊の最期の時に神仏が与える食べ物や服、霊界に送り届けるための舟、神様がお働きになる分の費用は、誰が出していると思われますか?

もちろん神様がお金を取ったり、お札を食べるわけではないのです。

霊界で、霊達を慰める食事や衣服の源になっているのは何か?

実は、一人ひとりがお玉串にこめた「誠」こそがそれなのです。

神仏は、あなたが玉串に込めた誠の大きさに相応しく、お受取りになって動かれるのです。

あなたが玉串に込めた誠は、霊界では憑依霊たちへの愛情として具体化するのです。すなわち、彼らを癒す食事や衣服、そして彼らを導く神仏の働きとなって顕現するのです。

これは他の神事や祈祷会を受ける時も全く同じです。

一人ひとりがそれまでに精進努力した分、人や自分を幸せにした分にもちゃんと報いて下さいますが、お玉串に関して言えば

「いかに誠を込めるか」

ということが重要なのです。

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2009年10月27日

霊界とはウソがつけない世界

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024お玉串とは何か(2)

「神仏に対してどれだけ誠を表しているのか、そのお金にどれだけ誠を込めているのか」で、玉串の価値がおおいにちがってくる。

どういうことか、例えば3万円で救霊に申し込みする場合を考えてみましょう。

彼女と二人で、お得な5,500円くらいのフルコースに行ったことがあるのを思い出して、「デートの食費、6回分くらいか…」と考えたりします。

一ヶ月に3万円のお小遣いをもらっている人なら、まるまる一ヶ月分ですからね。

「ちょっと辛い」とか「やっぱり惜しい…」と感じるのも無理はありませんね。

ですから、ついつい、「ちゃんと3万円分の悪霊が取れますように」と祈りたくなるのも無理はありません。

しかし、この祈り方だと最低限の功徳しか具体化しないでしょうね。

正しいお祈りのしかたとは、少し違っているからですね。

では、この3万円が30万円になるとはどういうことでしょうか。

ワールドメイトの除霊は、巷の霊能者のやるような、パワーで一気に除霊するものではなく、地縛霊浮遊霊怨念霊たちの前で、霊界法則や憑依した霊の宿命を謡い込んだ和歌を奏上して、行うものです。

実際に救霊する際には、神界や霊界の強い守護と霊力が加わり、正神界の霊団対霊によって救済がなされ、霊を真実悔悟させるものなのです。

こうでないと、憑依霊はまた怨みを深めて帰ってきてしまいますからね。

憑依している怨念霊たちになぜ自分が犯されたり殺されたりといった理不尽な目に遭わされねばならなかったかを説きながら、その間もずっと憑依霊たちにご神霊から来る愛の波動を与え続けるのです。

霊体だけの存在になった彼らには、真実、愛情で言っているか、それともただ説き伏せようとしているだけなのかはすぐにわかってしまいます。

なぜなら、霊体として存在するということは「自分が自分の想いそのものと一体化してそれのみの存在になっている」からで、それ故相手の想っていることも直接的に手間暇かかることが一切なく伝わってくるからです。

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2009年10月26日

お玉串は料金ではありません

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023お玉串とは何か?(1)

お玉串、ってどう考えたらいいものでしょうか?

神社に行ったときに受付で見てみると、いくつかの段階に分けて、申し込み金額が書かれていますね。

辞書で引いてみると、「神道の行事作法として用いられる献供物の一種で、榊の枝などに、絹、麻、紙などを付けて神前に供えるもの。太玉串(ふとたまぐし)。」とあります。

要するに、神様へのお供えのことですね。

料金との違いは何?どうして料金と言わないの?とお感じになる方もあると思いますが、こうした質問には、取りあえずは二つ、お答えしたいことがあるんですね。

一つは、神様にお供えする誠ですので、玉串を納めるということは、対価として物やサービスを求める「買い物」や「支払い」ではないということです。神仏に対して自分がどれだけ信仰の誠を表現するのか、という立場から出すお金だということ、そして、神様の役に立つお金としてお捧げするのであって、自分に何か還ってくることを期待して出すものではない、こういう考えから出すものだから、料金や値段とは言わないのです。

二つめにお伝えしたいことは、「自分の想念次第で1000円が1万円に、1万円が10万円になる」のが玉串なんだ、ということです。

神事にせよ、救霊にせよ、申し込みしようかどうしようかと考えて、本人が想いを巡らせて、だからこそ霊界で兆しが動いていたのが、「申し込み」手続きをしてお玉串を納められると、神徳がこの現実世界において具体的にわかる形で顕現し始めるのだ、と考えていいでしょう。

それでは、1000円が1万円になる、とはどういうことでしょうか?

結論から申し上げますと、玉串の値打ちを決めるのは、お申し込みになるあなたの想念の在り方なのだということです。もっと明確に言うなら、あなたがどれだけ神仏に対して誠を表し、そのお金に誠を込めていらっしゃったかで、玉串の価値がおおいにちがってくるのです。

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